2011年9月17日土曜日

9/18 学術会議哲学委シンポ 押川のレジュメ

「科学的な評価」は「正しい」のか?
東京大学物性研究所・教授 押川 正毅

原発事故後の「専門家」からの発言の典型的なものに、「(放射能汚染を)正しく恐れよう」というものがある。もちろん、恐れるにせよ対処するにせよ正しく行うことは結構なことである。しかし、「正しく恐れよう」と言う発言は、ほとんどの場合、実際には「○○の被曝による健康リスクは、科学的には(レントゲン・CTスキャン・飛行機で東京ニューヨークを往復・野菜不足・受動喫煙・等々)と同程度以下であり、従って気にする必要はない」というようなメッセージである。これには、大きくわけて2つの問題がある。
  1. 仮に「専門家」による「科学的評価」が正しいとして、それを根拠に「専門家」が「気にする必要がない」と決めることが適切なのか?
  2. 「専門家」による「科学的評価」は本当に「正しい」のか?
前者の問題については、個人の意思決定が各自のものであることは言うまでもないが、政府や自治体などの政策においても、日本が民主主義国家である以上は意思決定をする主体は究極的には国民全体であることを忘れてはならない。「専門家」の役割は、あくまでも判断の参考になる情報を提供することである。この観点からも、原発事故後の多くの「専門家」の発言、政府発表、報道には問題があったと言わざるを得ない。
しかし、今回の私の報告では、後者の問題、すなわち「科学的評価」が本当に「正しい」のか、ということを中心に議論したい。多くの科学者の発言や、各種の広報や報道は、「科学的評価」が「正しい」ことを暗黙のうちに前提にしているように見える。もちろん、私も科学者の端くれとして科学的方法の強力さは良く知っているつもりだが、原発事故問題に関して「科学的評価」を絶対視することには疑問がある。
まず、原発事故後の社会では、私を含めて専門家・科学者への信頼は失墜していることを認識する必要がある。日本の原発はチェルノブイリと違って安全だったはず、なのであり、「起こるはずがない」事故が起きてしまった現状で、社会が科学、あるいは科学者を信頼することが当然だと考えるべきではない。事故が起き原発が爆発した段階でさえ、「メルトダウンはありえない」「原発から30km以遠は安全」など、誤った評価を発信していた専門家・科学者は少なくない。これだけ「専門家」によるミスリードを目の当たりにすれば、「科学的には被曝による健康リスクはこの程度」という評価もあてにならない、と市民が思う方が自然である。「科学的評価は正しい」ことを当然の前提として発言できる時代は終わった。もちろん、原発事故の進行と、健康リスクの評価は別の問題であるが、原発事故の進行の方がむしろ単純な問題であり、シミュレーションでもかなりのことが実はわかっていた。
実際、健康リスクの科学的評価は難しい問題である。この基本となっているのは広島・長崎原爆の影響調査に代表される疫学研究であるが、原爆や原発事故では正確なデータの収集は難しい。たとえば、広島原爆の影響調査で対照群とされた集団でも実は被爆の影響があったため、被害が過小評価されていたのではないかとの指摘もある。(T. Watanabe et al.,  Environ Health Prev Med. 2008 September; 13(5): 264–270.) 

科学的方法は、同じ条件で多数の実験を行うことができ、またそのような研究が独立な研究グループによる相互チェックを受ける場合には、信頼性を高めることができる。しかし、原発事故による健康リスクの評価については、同じような状況を多数回くりかえし起こして、制御された状態でデータを収集することができない。従って、過去の事例における影響を探ることになるが、これは上記の意味で、物理学の研究よりも、歴史学や考古学に近い難しさがあるのではないだろうか。このような問題では、研究者が査読付きのジャーナルに発表したデータのみに立脚する(狭義の)「科学的方法」には限界がある。ジャーナリズムによる資料として活用し、史料批判に代表される歴史学的な観点や方法なども導入するべきである。

9/18(日)午後@東大本郷 日本学術会議哲学委シンポジウム

日本学術会議哲学委員会 公開シンポジウム
「原発災害をめぐる科学者の社会的責任――科学と科学を超えるもの」
詳細は⇒ URL http://ow.ly/6sQmr

日 時:9月18日(日)13:00~17:00 (開場 12:10)

場 所:東京大学法文2号館文学部1番大教室 
(スペースに限りがございます。会場に入りきれない場合は何とぞご容赦下さい) 
一般公開、入場無料、事前申し込みは必要ありません。 
〈プログラム〉 
司会 金井淑子(立正大学文学部/倫理学) 
13:00~13:10 開会挨拶 
野家啓一(東北大学理事、日本学術会議哲学委員会委員長/哲学) 
13:10~15:10 報 告(各パネリスト20分) 
唐木英明(元東京大学アイソトープ総合センター長・獣医薬理学)
小林傳司(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター/科学哲学、科学技術社会論) 
押川正毅(東京大学物性研究所/理論物理学) 
鬼頭秀一(東京大学新領域創成科学研究科/環境倫理学) 
島薗 進(東京大学人文社会系研究科/宗教学) 
15:10~15:30 休 憩 
15:30~16:50 全体討議 
16:50~17:00 閉会挨拶 
丸井浩(東京大学人文社会系研究科、哲学委員会副委員長/インド哲学)